ルーマニア写真紀行 1 シナイア(Sinaia)

写真をクリックすると大きな画像が表示されます
Click picture to see high resolution picture.

 
DSC_0076_x.jpg DSC_0082_x.jpg DSC_0081_x.jpg
シナイア僧院の門 門の右奥の建物は新しい教会 門の右側
DSC_0084_x.jpg DSC_0086_x.jpg DSC_0088_x.jpg
新しい教会の正面に通路がある 暗い通路を抜けると 中庭がある
DSC_0091_x.jpg DSC_0108_x.jpg DSC_0111_x.jpg
中庭を囲む建物 中庭の真ん中に小さな教会 こちらは中世の古い教会
DSC_0112_x.jpg DSC_0092_x.jpg DSC_0095_x.jpg
入口のフレスコ画 内部のフレスコ画 修理もされていて鮮やかな色彩
DSC_0096_x.jpg DSC_0097_x.jpg DSC_0099_x.jpg
DSC_0100_x.jpg DSC_0101_x.jpg DSC_0102_x.jpg

東方正教会の中に入るのは初めて。カトリックやプロテスタントの教会との雰囲気の違いと、フレスコ画やイコンの素晴らしさに感動した。

DSC_0113_x.jpg DSC_0114_x.jpg DSC_0118_x.jpg
中庭を囲む建物 再びトンネルを抜けて出口へ 坂を車で登って駐車
DSC_0119_x.jpg DSC_0120_x.jpg DSC_0150_x.jpg
レストランが数軒あったと思う 森の中を歩く ペレシュ城 に到着
DSC_0125_x.jpg DSC_0126_x.jpg DSC_0128_x.jpg

本来ペレシュ城 の観光は英語ツアーに付かなければならないが、日本語ガイドと私達だけで観光できた

DSC_0129_x.jpg DSC_0130_x.jpg DSC_0132_x.jpg

武器がたくさん展示してあった

DSC_0131_x.jpg DSC_0134_x.jpg DSC_0136_x.jpg
DSC_0139_x.jpg DSC_0141_x.jpg DSC_0142_x.jpg
DSC_0144_x.jpg DSC_0148_x.jpg DSC_0149_x.jpg
DSC_0145_x.jpg DSC_0147_x.jpg DSC_0151_x.jpg
DSC_0152_x.jpg DSC_0154_x.jpg DSC_0160_x.jpg
カロル1世 ペレシュ城の全景 レストランまで戻ってきて昼食
DSC_0161_x.jpg DSC_0169_x.jpg DSC_0167_x.jpg
地元のビールをオーダー

レストランの建物は近衛兵の宿舎だったとか

ペリショール城(休館だった)
DSC_0171_x.jpg DSC_0177_x.jpg DSC_0178_x.jpg
貸し別荘だとか 街まで降りる道でもう一度ペレシュ城の遠景
DSC_0183_x.jpg DSC_0186_x.jpg DSC_0187_x.jpg
別荘地といっても特に大した街ではなかった 街からしばらく走った景色 ブチェジ山山頂には高さ50mの十字架があるそうだ

平成22年8月25日(水)

シナイア

 シナイアは当初観光するつもりはなかったが、道中なので寄ってみることにした。ブカレスト市民の別荘地であり、軽井沢みたいなところだそうだ。それだけのこと。高い航空運賃と貴重な長期休暇を割いて訪れるべきところかと言われれば疑問符がつく。

 しかし、西欧や中欧と違うヨーロッパ、ヨーロッパの原風景あるいはヨーロッパの田舎でリフレッシュしたい私としては、ボーッとガイド任せで観光するのも可かなと思った。

シナイア僧院

 ホテル街や別荘地を突き進んでどんどん登っていくと、シナイア僧院がある。自動車は入り口の際の駐車場に駐めた。レンタカーを自分で運転していたら、ここに駐める勇気はなかっただろう。自分で運転していたら、下の方の駐車場を探してテクテク歩いて登ったかも知れない。

 さて、門の入り口の右奥に大きくはないが壮麗な教会が建っている。しかし、これは新しい教会で創建当初の古い教会は左のほうである。この創建当初の教会は小さな教会であるが、フレスコ画のあまりの素晴らしさに息を呑んだ。このフレスコ画を観るだけでもここに来る価値があり、来て良かったと思う。

 シナイア僧院はシナイアの地名の由来となる僧院であり、その僧院の名前はエジプトのシナイに由来する。

ペレシュ城

 再度、車に乗って坂を登る。地元の人や観光業の人しか車で通れないような道を登ったように感じる。レンタカーならばここまで登ってくることは、勇気があるか向こう見ずでなければできなかっただろう。

 この城は意外と新しく1875年にルーマニア王室の夏の離宮として建てられたものらしい。それ故、セントラルヒーティングで暖房されるとのこと。ルーマニア様式というよりも、ドイツの職人に作らせたホールと彫り物、ヨーロッパやトルコなど各国をイメージした部屋がある。
 ここは普通、ツアーに参加しなくてはならないが、日本語ガイドが居たので、彼がガイドすることでツアーに参加しなくて良かった。カメラとビデオの撮影には別途お金が必要である。

昼食

 エコノマットというレストランで昼食をした。ここは城主の近衛兵の住む兵舎だったところだそうだ。トマトスープを注文したが、トマトが薄かった。味は悪くはなかった。

 ここでの昼食は以後のルーマニアの食事を予期させるものだった。決して不味くはない。しかし、完成度の高いルーマニア料理に出会うことは少なかった。ガイドの推薦する店よりも、ガイドブックでしっかり調べて店を選んだら、あるいはそんなことはなかったかも知れない。もちろん、ガイド推薦の店でも美味しい店もあったのだが…。

ロープウェイは中止

 私は旅行社にオーダーしていなかったが、旅行社がブチェシ山2000mへのロープウェイを予定に入れていた。しかし、私のミスで旅程を組むのを間違えていた。

 シナイア → ブラショフ → シビウ → シギショアラ

とするべきを

 シナイア → シビウ → ブラショフ → シギショアラ

としていた。この日の内に、ブラショフを超えてシビウまで行かなくてはならない。ロープウェイは中止とした。

シビウへの道中

 シナイアを出発するとすぐに標高2000mの高山の上に十字架が見えた。そんな高い場所の十字架が見えるということは余程の大きな十字架である。なんと、高さ50mもある十字架だそうだ。

 シナイアを出てすぐに渋滞に遭った、また道中のブラショフという大都市もそれなりに道が混んでいた。こんなこともあるのでロープウェイは中止して正解だった。まだまだ道中は長い。時差ボケもあって車中では眠らせて戴いた。運転手兼ねる通訳ガイドさんには悪いけど…。

 それにつけてもブラショフを抜けてシビウまで行って、またブラショフに帰ってくるという無駄な道程を設定してしまって申し訳ない。

← Previous  

Top page of Romania.

 

Next →

Counter since 2011.06.07

(C)2010 Eisai Ishibushi ALL RIGHTS RESERVED