「赤毛のアン」の島へ
プリンスエドワード島旅行記
モンゴメリの生家
L. M. Montgomery Birthplace
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2008/8/30
モンゴメリの生家
L. M. Montgomery Birthplace昼食中にキャヴェンディッシュへの3回目の訪問を決めた。その道すがら、6号線と8号線の交差点にモンゴメリの生家があるので立ち寄ることにした。一昨日、こんな判りやすい場所にありながら判らず通過してしまった場所である。 ゲートウェイ・ビレッジからここまで意外と早く到着することができた。
小さな家であったが、年配のご婦人が丁寧に判りやすい英語で説明を下さった。ネイティブの英語は聞き取りづらいものであるが、この女性の英語はわかりやすい。英語をネイティブとしない外国人にどう話したら通じやすいのかよく御存知なのだろう。ゆっくり、単語と単語を微妙に分かちながらしゃべられるのがよかったのだと思う。おもわず、立ち去るときに Your English is easy to understand. Thank you ! と言ったくらいだ。
ここの受付のうらにはモンゴメリのウェディング ドレスのレプリカが展示してあった。小さな靴が二足あったが、一足は結婚式のもの、二足目は黒色でイギリスとスコットランドに新婚旅行したときのものとのことである。他の客がいなかったので、モンゴメリのスクラップブックの説明を1〜2分して戴いた。これは「赤毛のアン」百周年を記念したスクラップブックのコピーの販売行為とも受け取られるかもしれないが、その他にも丁寧かつ丁寧すぎずに説明を戴いた。彼女の熱意と家内の「赤毛のアン」ファンの雰囲気がそうさせたのだと思う。
モンゴメリの家は商売をしていて、8号線と6号線の交差する(恐らく開拓当初からの街道)という恵まれた場所にあり商売はうまくいっていたが、火事になって焼けてしまったとのことである。
私として興味深かったのは、当時のレンジ、オーブン、暖房、アイロン加熱器を兼ねた黒いレンジである。燃料は石炭ではなく薪である。煙突の付け根はパンを焼くオーブンだった。また、アイロンを実際持ったが大変重い。7〜8kgあるのではないだろうか。こんな重いアイロンで当時の女性はアイロンを当てていたのである。押さえつけなくともシワも伸びるだろうし、熱容量も相当で長い時間熱さが保持できたのだろう。
近くに、鎌倉という姓の日本人女性が喫茶店をしていると紹介された。アンについて地元でしか知られないような情報を日本語で欲しい場合は是非よりたいが、4連泊の私たちにとってもゆったりお茶をする時間はなかった。
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