大英博物館(2/3)

仏教の展示

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・写真をクリックすると精細な写真(相似比3倍)が表示される。
・写真の横のタイトルと説明のほとんどは、大英博物館の英文の説明を試訳したものであるが、精度は保証できない。正確を期する場合は「Original English Text」をクリックして原文の英文を参照されたし。また、(叡)とあるのは著者の説明である。
・ここにあるの大英博物館は仏教展示の一部である。ほぼ全ての展示を撮影したが、紹介しきれない。アマラバティーの仏舎利塔の展示は次頁に掲載する。


釈迦立像

北インド サルナート  グプタ王朝(435年頃)

 この釈迦像は安心をあらわすため右手を上げている。これは、一度でも人々が釈迦やその教えに保護されれば恐るべきものが何もないことを示す手振りである。
 また、この像は比類無き特別な良い兆しをあらわす。
 最も顕著なこととしては、仏陀の頭頂に優れた智慧の象徴としての突起(肉髻)がある。
 サルナート(鹿野苑)は北インドの釈迦が最初に教えを弘めた(初転法輪)場所であり、後には僧堂生活と仏教思想の重要な中心地となった。
 サルナートの静かで霊的な雰囲気は、釈迦が汚れ無き崇高な身体を持っているという思想を発展させた。
 像の両足首が破損している。足首から下は、同じ大きさの別の像のものである。

 それらは彫刻の原型の若干の兆候を示す。

OA 1880. 6 India Museum Collection.
Original English Text.


釈迦像

ガンダーラ 2〜3世紀

 この像は、仏陀の特有のしるしを見せている。これらは、額のしるし白毫(urna)と、頭上の突起肉髻(ushnisha)を含む。肉髻珠は髷(まげ)として示されている。

OA 1947.5-11.1
Original English Text.


釈迦像

ガンダーラ 2〜3世紀

 不幸にも破壊されてしまった頭部以外の片岩彫刻は、この頭部の大きさからしても例外的なものである。
 ロールパンのような形に結われた髪は肉髻(ushnisha) として知られていて、仏陀の智慧を示している。

Dighton Pollock Bequest
OA 1929.11-4.2
Original English Text.


釈迦像

Danesar Khera, 中央インド
グプタ朝 5世紀

 金色に輝く釈迦のブロンズ像は説法の印を結んでいる。この仏像の存在そのもののが珍しいことにとどまらず、土台の銘文に時代を同定する重要な情報があるのが珍しい。
 5世紀に貨幣を発行した証拠のある、統治者 Hariraja の名前が記されている。

Brooke Sewell Bequest
OA 1969.7-25.1
Original English Text.


釈迦像

インド東部 11世紀

 釈迦の生涯における8つの大きな出来事が浮き彫りであらわされている。中央の大きな像は菩提樹の下で悟りを得た出来事(成道)を描いている。左下の浮き彫りは降誕で、ルンビニー園で木を握っている母親である(右脇誕生伝説)。石碑の真上は逝去であり、それは涅槃の達成である。

Lady Holmwood
OA 1942.4-15.3
Original English Text.


説法する釈迦

ガンダーラ マルダーン地区(パキスタン)
2〜3世紀

 ブッダガヤでの悟りを得た(成道)の後、サルナートの鹿の園(鹿野苑)で初転法輪をして5人の弟子を得た。台座には信徒に囲まれた菩薩像がある。

Given by Eustace Smith Esq
OA 1895.10-26.1
Original English Text.


奉納された仏舎利塔

インド東部 11世紀

 小さな仏舎利塔(ストゥーパ)は個々人の信心の表現であり、それ自体に仏舎利(釈迦の遺骨)や神聖なものは具わってない。仏教の僧、巡礼者、在家信徒は、利益を得るために、仏教の神聖な場所に奉納された仏舎利塔を持っていた。

OA 1880-4085
Original English Text.


スートラ(経典)

 スリランカやチベットの経典はこのように二本の糸で綴じられている。経はサンスクリットでスートラといい「たて糸」の意味。
 紙のない時代は貝多羅葉(ばいたらよう)あるいは貝葉という、ヤシの葉(あるいは白樺の木の皮)を裁断して2本の綴じ穴を開けたものを紙面としている。その穴を避けるように裏表両面に経文が書かれいる。(叡)

 


釈迦の頭像

ボロブドゥール ジャワ島中部
9世紀頃

 ジャワ島での建築における最初の主要な期間は、8〜10世紀に島の中央の地域で起こった。多くの仏教やヒンズー教の寺院が Shailendra 王朝のメンバーによって建てられた。この時代は、大乗仏教を導入してボロブドゥールの主要な遺跡が建造された。この頭部は建造物の頂上の脇の座像のもの。

OA 1859.12-28.177
Original English Text.


釈迦像

サルナート 、アッタープラディッシュ。
5〜6世紀頃

 釈迦は獅子の座に、「ヨーロッパの姿勢」で座っている。釈迦の足は二重の蓮の上にある。光背の下には竜などの精巧な彫刻が見える。釈迦はベナレス郊外のサルナートでの初めての説法(初転法輪)で5人の弟子にしたが、胸の前での指の印相は「転法輪」をあらわす(原文の意味不詳)。

OA 1880.7
Original English Text.


鬼子母神

ガンダーラ
パキスタン北西フロンティア州
2〜3世紀

 鬼子母神は子供達を食べる荒々しい人食い女であった。釈迦はその教えによって、鬼子母神を鬼神から、子供達の守護神にかえることができた。このような優しさの象徴した像である。後の時代に彼女は天然痘の女神として崇拝された。彼女は、富の神の将官であるパンチカの妻である。

Given by Colonel A.C. Walker
OA 1886.6-11.1
Original English Text.



 

 苦行時代の釈迦の頭像と思われる。残念ながら、タイトルや説明文を散逸した。大英博物館の数ある釈尊像の中でも一番印象に残った。一切衆生の苦滅につながる悟りを求めて、精進し、魔の誘惑と戦い、身体は生死の境に達しようとさえしている。身はやせ衰え、眼はくぼんでも、求道の力強さと智慧の力は失せることはなく衰えることを知らない。苦行中の釈尊も、やがて苦行を捨て菩提樹の下で瞑想する釈尊も、象徴的に描くとこのようなお顔だったのかも知れない。だからこそ、乳粥を供養したスジャータは木霊と見誤ったのだろう。この頭像には、四諦の法門をはじめ一切の仏教の頼もしい萌芽が込められていると観じた。(叡) 


大英博物館(2/3)

仏教の展示

 迷惑や批判を顧みず、大事な仕事を休んでの英国旅行。その大きな目的の一つが大英博物館と大英図書館の拝観である。このページと次のページを観て戴いたら、それがダシでもウソでもないことがわかって戴けるだろう。

 シルクロードに行っても、現地の遺跡は欧米の探検隊が遺跡を持ち帰ったあとで何もないことすらあった。大乗仏教の聖地でかつ中国へ仏法東漸の中継地となったガンダーラは、パキスタンやアフガニスタンといった治安上旅行を躊躇する地域である。また、インド、スリランカ、ガンダーラ、シルクロードの仏教遺跡を旅するのには膨大な時間と資金がかかり体力も必要である。そんなこんなを考えていると、先進国の博物館でも最も充実した仏教の宝物を展示しているであろう大英博物館に再訪することを思い立った。

 写真撮影が許可されているのも嬉しい限りだ。ただ、ガラス越しの写真もあり、PLフィルタを持参しなかったのは失敗だった。

 今回は展示横の説明文も写真撮影し画像処理してOCRでテキスト化したが、予想以上にうまくいった。


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