アマラヴァティー大仏舎利塔遺跡の展示
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アマラヴァティー大仏舎利塔遺跡の展示
展示の説明文の試訳
アマラヴァティーの大仏舎利塔
仏舎利塔は、紀元前3世紀、インドのアンドラ・プラデシュ州アマラヴァティー(Amaravati)に建立された。仏舎利塔はバラバラになり無数の小さな遺跡保管庫に預けられていた。この大きな仏舎利塔を建立したのが誰なのかよくわかっていない。けれども、現地で発見された柱の破片の銘文によれば、紀元前3世紀のマウリア王朝の偉大なアショカ王の建立を示している。やがて、仏舎利塔は何度も改築されることになるが、とりわけ2〜3世紀の改築は特筆される。ここにある彫刻のほとんどはその時期のものである。スリランカの後の碑文によると、大仏舎利塔は恐らく14世紀まで仏教徒の崇拝の中心地として残存した。
1797年、インド最初の測量技師コル・コリン・マッケンジーによって遺跡として再発見され、1845年、マドラス官庁のウォルター・エリオット卿によって仏舎利塔は発掘された。エリオットの発掘により大英博物館はアマラヴァティーの彫刻の大部分のコレクションを獲得できた。大仏舎利塔の建築様式
仏舎利塔の中心部分はぎっしり詰まった石とレンガで建造されている。彫刻された装飾や欄干は現地の採掘された薄緑の石灰岩である。仏舎利容器はドームの頑丈な構造物の中に安置された。仏舎利塔の高さは約18mで、欄干の周囲は約240mあったと推定される。
円筒部分
太鼓状の高い円筒がドームを支持していた。それは、4つの重要で小さな突き出した祭壇をもっていた。それぞれの祭壇は5本の柱を立てる穴があけられていた。インドのこの地域の仏舎利塔としては、この特徴は風変わりだ。円筒の側面は彫刻された石版で覆われていた。
欄干と門
円筒部分と彫刻された周囲の欄干の間は敬虔な仏教徒が行道して回る廊下だった。欄干はきわめて重要な場所を含んでいた。一対のライオンが両脇に座って門は守られていた。
何故アマラヴァティー?
平成10年(1998)2月、友人に誘われて遥々インドのアマラヴァティーまで旅行した。そこには巨大な仏舎利塔の跡があった。そして、現地の美術館で素晴らしい彫刻の数々を観て、仏舎利まで拝見させて頂いた。さらに、マドラス(チェナイ)の州立博物館でもアマラヴァティー発掘の彫刻を観て写真に撮った。あまりにも巨大で荘厳な仏舎利塔だったに違いない。現地で気になることを聞いた。それは残りは全部「大英博物館」に所蔵されている。その残念さは常に心のどこかにあった。
今回、大英博物館でアマラヴァティーの素晴らしい彫刻群と再会することになった。確かにインドの展示室の50平方メートルほど(目分量)を占めて例外的な広さであるが、これはコレクションの全てではあるまい。仕方ないことだろう。バリエーションの面でも現地で観たような感動はなかった。
アマラヴァティー(現地)の大仏舎利塔跡 | アマラヴァティーの博物館にて |
インドにアマラヴァティーを訪問したときの記録
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